川中紀行の
「日本でまだ誰も言っていないこと」1

「立ち上げるの乱用」 

近頃の日本語における話し言葉・書き言葉については、もちろんいろいろと言いたいことはあるが、中でもその無神経ぶりに腹が立つのは、「立ち上げる」の乱用だ。試しに、新聞の記事、あるいはテレビなどの解説やインタビューを注意して見てもらいたい。いま「立ち上げる」は完全に「設立する」「始める」と同義で使われている。かつて会社の場合は「設立」や「創立」を使っていたし、ある事柄については「開始」「スタート」「発足」など、その都度使い分けていた。しかし、いまは違う。会社も、組織も、制度も、全部「立ち上げる」オンリーである。それにしても、先日見かけたガスファンヒーターのカタログでの「スイッチを立ち上げる」には驚いた。無論、これらの言葉が「コンピュータを立ち上げる」から来ているのは明白だが、だからといってここまで極端に「立ち上げる」を使う日本人および日本のマスコミの、日本語に対するデリカシーの無さには失望する。少なくとも最近の一般 紙では、「会社を立ち上げる」以外の文章(「会社を設立する」など)を見ることの方が希である。ひとたびブームになると、いとも簡単に流されてしまうのは日本人の常だが、「立ち上げる」の乱用も、最近の“語尾上げ言葉”“っていうか言葉”“じゃないですか言葉”と同様に、話し言葉に対する表現力の枯渇に端を発しているのは明らかだ。それは、相手や状況に応じて言葉を使い分ける「判断力」や「想像力」の無さを意味している。だから私は「立ち上げる」の乱用も単なる無神経だけでは済まされない背景を含んでいると思う。話はやや逸れるが、Jリーグ発足当時の選手たちのインタビューで、やたらと「〜だと思うし」という話し方が目立って気持ち悪くて仕方なかった。(これは多分に三浦知良の影響があったと思っている。)私はその画一的な話しぶりに、これで創造的なサッカーができるわけがないと思っていたものだ。現在は違う。もちろん中田英寿もそんな話し方はしない。そして、日本サッカーは確実に強く創造的になってきている。「立ち上げる」の乱用は、「日本人のクリエイティビティ」という産業界が直面 する課題と実は表裏一体だと断言する。
(注)「まだ誰も言っていない」と言っておきながら、「立ち上げる」に関しては、文春文庫「お言葉ですが…」(高島俊男著)で既に述べられているという情報アリ。スタートから企画倒れのページになってしまいましたが、どうしても言っておきたいコトなのであえて載せました。でも、切り口は違うと思います。

●交通事故負傷者数の増加にみる危険な現代社会
●市販履歴書の不思議
●NHKと民放の駅伝中継の格差。
●「IT」の恥知らずな乱用」
「カタチの乱用2」 
「マスコミのバランス感覚の欠如」
●「カタチの乱用 1」
「立ち上げるの乱用」 
●ご意見・ご感想はこちらまで。



PRESENT MAGAZINE