川中紀行の
「日本でまだ誰も言っていないこと」6

NHKと民放の駅伝中継の格差。  

辛口で鳴る批評家に「最早、話すプロではなく単なるタレント」と評されたテレビ局のアナウンサーだが、それでも事実の誤りや差別用語をひとこと言えば、すぐにお詫びする彼らが、何一つ詫びない番組がある。“駅伝”の中継だ。日本テレビ「the 独占サンデー」での箱根駅伝中継の裏方レポート(1月7日放映)を見れば、確かに大変な実況中継であることは察せられるが、基本を蔑ろにして過剰な装飾に執着する実況は余りに見苦しく聞き苦しい。
さて、実況の批判をする前に、今年の「箱根駅伝」の改善点で気づいたことがある。それは、選手間の距離が実際は縮まっているのに「差が開いています」と言うような全く正反対の実況(昨年までは実際に何度もあった)が、復路でチェックしたところ一度もなかったことだ。箱根駅伝は、各所に距離差を時間で計測するチェックポイントを設けている。したがって視聴者も例えば「早大は茅ヶ崎で、順大との差を権太坂の時点よりは詰めている」と分かる。これがトップ争いとなると画面に距離差が必ず出るから、実況を見続けている熱心な視聴者は「大平台では320mだったのに、箱根小湧園前までに50mも差が開いた」と瞬時にチェックできてしまうのだ。それなのに、視聴者でも分かるこれらの情報を全く無視した正反対の実況が昨年までは数多く聞かれた。恐らく、各クルーに分かれた箱根駅伝のスタッフたちは、自ら担当しているモニターに気を取られ、メイン画面を疎かにしていたのであろうが、この点は改善されている。来年以降も、こうしたあまりにも低レベルな実況は皆無にしていかないと、本当にプロとは言えなくなる。
駅伝やマラソンの中継は、並走している場合に選手の優劣が分かり辛く、差が離れた場合も瞬間的に選手間の距離差を計ることがまだ技術的に難しい。特に駅伝の中継には激しい順位の入れ替わりがあり、その上、箱根駅伝には復路における往路のタイム差という要素が加わる。苦労は想像以上なのであろう。しかし、それは全てのプロの仕事に共通のことだ。しかも私が駅伝中継に望むのは「画面を観て一般視聴者でも判断できることは、判断した上で実況してほしい」という全く低レベルの話に過ぎない。事実と正反対の実況など、指摘する以前のミスである。
シドニー五輪で、全く勘違いとしか思えないサッカーの実況を行った船越アナを擁護したように、日本テレビは“装飾過多・感情極度移入”の実況を悪とは決めつけていない。実際、巨人軍のサヨナラゲームを大声で「さよ〜っなっらぁ〜!」と実況した船越アナを、数年前の最優秀実況に選んでいる。その基本的な“姿勢”が駅伝の中継にも現れている。
繰り返して言うが、私が述べているのは「アナウンサーは、少なくとも視聴者が画面から得られる情報量と同じレベルで実況すべき」という当たり前以前の話である。正しく事実を伝えるという基本もできないで、“装飾過多・感情極度移入”に終始する“古館一郎スタイル”の実況はやめてもらいたい。これは、好き嫌いの話ではないと思う。
さて、まず箱根駅伝である。「駒沢大学が駒沢大学の後ろについています。」なんて実況はご愛嬌としても、中継所があと50メートル程度に迫っていて、30秒も差があるのに「さあ、抜けるのか?」なんて真剣に熱く語らないでほしい。逆に、7区の平成国際大と帝京大の競り合いにおいて、残り9キロもある地点で差がぐんぐん縮まって15メートル程度になっているのに「もしかしたら」という実況もないだろう。あくまで仮定の言い方にはなるにしても「恐らく追いつくものと思われます」が自然な実況ではないか。
往路の成績上位校は、スタート時間を遅らせて往路の秒差を復路にそのまま反映させて走り出す。したがって、復路で並んだからといって走っている両選手の区間タイムは同じではない。なのに、順天大・駒沢大の両選手の並走において「○キロ通過、○○23分14秒、○○23分16秒」という実況があった。また、同様の理由で復路の順位は、実際の総合順位と違う場合が多々ある。メイン画面で早稲田10位と総合順位を告げているのに、すぐ後の実況で「早稲田11位」と言っていたのでは、何のために裏方がタイム差を算出しているのか分からない。
もちろん、この他にも細かな言い間違いを指摘したらきりがないが、それはどんな実況にもあること。私が指摘したのは“駅伝”で陥りやすい実況のミスである。いわば第一に注意せねばならないミスを平然と犯し、事実を事実として伝えることすらできないアナウンス技術を放置しながら、人生ドラマをかき立てるような過剰な装飾はやめていただきたい、ということである。 駅伝中継におけるこうした低レベルの誤りは、フジテレビにも見られる。たとえば、昨年の「実業団対抗女子駅伝」でも、10番も順位を上げたチームに「順位を下げた」と言ったり、単独で走る1位と2位の選手を追っている3位の選手に対し「先頭集団を追い上げています」と言ったり、全く冷静さに欠けている。距離差の間違いや、中継所の雑な実況も特に民放の場合は目に余る。 ここまでお読みいただいて「枝葉末節のミスをあげつらう」という感覚を抱かれた方もいらっしゃるだろう。確かに細かな言い間違いはどのアナウンサーにも、ある。しかし改めて言うが、私が問題としたいのは単なる言い間違いなどではなく、実況のプロとして駅伝中継の基本を蔑ろにしておきながら、過剰な装飾にばかり神経を注ぐ歪んだタレント根性なのだ。私は古館一郎氏の話術に対する真剣な姿勢を尊敬しているが、氏は後輩のアナウンサー諸氏にとてつもない話術への誤解を与えてしまったようだ。
NHKの「全国都道府県対抗女子駅伝」をご覧になった方もいらっしゃるだろう。私はもちろん、時として地味に傾きがちなNHKの駅伝中継を全面的に支持するわけではない。しかし、事実を事実として伝えるための姿勢は、NHKが民放を遙かに上回る。民放は、以下に示すNHKの姿勢を十分に見習った上で、実況の表現の方の装飾に臨むべきではないか。
都道府県というからにはチーム数は47チーム。中継所は当然、混乱する。しかも全長47.195キロで基本的に差がつかないため、数チームがどっとなだれ込む。NHKはここに“過剰な装飾によるアナウンサーの自己満足”の場を与えない。それどころか、メインの実況をサブアナが補佐して、たすきをつないだチームを見落として次のチームを紹介したりすると、サブアナが即座に補足するのだ。だから、画面の状況と実況が一致する。民放の駅伝実況で、中継所に複数のアナを配した前例を私は知らない。最も混乱する箇所に、である。 またNHKは、選手間の距離差をアナウンサーの勘で実況することが極めて少ない。基本的に「第○号車、では距離差を計ってください」などと、客観的な情報の提供に腐心している。実は先日のレースでも先頭集団の長さを短めに伝えた実況があったが、気づいたのはその1箇所のみだ。民放の実況でも距離差を他の放送車に確認することはあるが、安易に勘だけで実況するケースがNHKと比較にならないほど多い。「目測なので距離は正確ではない」という姿勢が民放であり、「時間差から可能な限り正確な距離を伝える」という姿勢がNHKである。
先頭集団のチーム数などもNHKは、近い方の放送車に確認を取ることを忘れない。「だいたい20名前後といったところでしょうか」などと言う民放に見られる曖昧な実況を避ける意識が感じられる。
つまりNHKは、基本的に「駅伝の中継は難しい」という前提に立っており、だからこそ実況の担当メンバー同志助け合って正しい実況を行おうとする姿勢に徹底しているのである。
民放の駅伝中継に欠けているのは、こうした“事実を正しく伝えようとする姿勢”なのである。
民放の“事実を正しく伝えようとする姿勢”の不足は、解説者にも伝わる。箱根駅伝・復路9区で順天大の高橋選手がスタートするや否や「恐らく区間記録を狙って走っているんじゃないですか」と全く根拠のない脳天気な解説をしたのは軽率としか言えない。走り出したばかりの選手が好調かどうかなど中盤になってみなければ分からないのが(箱根)駅伝である。案の定、順天大の高橋選手は9区で全く予想に反して駒沢大に逆転を許してしまう。解説者は前言を恥ずべきである。もちろん、駅伝やマラソンの解説ほど難しい分野はない。その選手がオーバーペースかどうかさえ、しばらくタイムを見守らないと判断できないのが“長距離の解説”なのである。だから時として解説は正反対の予想を立ててしまうことがある。私はそれに対し「正しく解説せよ」などと無理難題を言うつもりは毛頭ない。しかし、前述の9区の解説は、根拠もなしに選手の心理を描写したばかりでなく、予想が絶対に不可能な時点で堂々と「好調である」という予想を立ててしまっているようなものだ。これは解説の領域を逸脱した単なるパフォーマンスである。アナウンサーが「高橋の頭にあるのは区間記録のみか」などと言う分にはまだ許されるが、それも仮定の上での実況でなければならない。その点、NHKの解説者は常に真摯な態度を崩さない。アナウンサーの実況への姿勢に呼応していると、私は推測する。
Jリーグの実況なども、NHKの山本アナの冷静な語りが一番聞きやすいと思うのだが、“客観性・冷静さ”を軸とした実況を支持するか、“装飾性・興奮度”を前面に出した実況を支持するかは、もちろんその人の好き嫌いである。しかし、こと「実況」と銘打ったからには、そこに「事実を伝える正確さ」が欠けてよいわけがない。
NHKのアナウンサーにその傾向が全くないわけではないが、特に民放アナの誤った日本語や言葉に対する知識の欠如は「アナウンサーの本分を見失っているのでは」という感想を常に私に抱かせる。駅伝中継の失態は、そうした私の見方をさらに増幅させるのである。
「 民放のアナウンサーよ、“事実を正しく伝えようとする姿勢”を守り、それを可能にする話術を身につけてから、“古館一郎スタイル”に向かうがよい」と私は言いたいのである。
蛇足だが、日本の宇宙ロケットの打ち上げ失敗はスタッフのコミュニケーションの欠如も一因と、NHKが指摘していた。私は、駅伝中継のミスと宇宙ロケットの失敗、そして昨今の日本の技術に対する信頼低下は根が一つのような気がしてならないのである。
2001.1.19

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