川中紀行の
「日本でまだ誰も言っていないこと」3

「マスコミのバランス感覚欠如」  

このシリーズの3回目は「カタチの乱用」についてさらに述べようと思っていたが、またしてもマスコミのバランス感覚の欠如に失望する事件が続いたので急遽予定を変更した。しかしこれもテーマは「言葉」である。
石原都知事の「三国人」発言がマスコミを騒がしたのは記憶に新しい。この発言に関しては、まず賛否両論ある。これを問題視する側は「三国人」という言葉の差別 的な意味に重点を置き、問題なしとする側は「三国人」の辞書的な意味を重視し、差別 的な意味合いを既に過去のものとする立場をとる。ちなみに朝日新聞の論調は後者寄りで、読売新聞は前者寄りであった。私はどちらかと言えば後者だが、私が問題としたいのはこの「三国人」発言ではない(この問題は言葉の解釈及び、石原都知事の意図の解釈によって違いが出るわけで、どちらを正解とするかは不毛な論争である)。
石原発言と相前後して自民党の野中幹事長の「白々しい」発言があった。私は、なぜマスコミがあれほどに石原発言をヒステリックに取り上げながら、この極めて幼稚・下劣なる野中発言に対して高見の見物に終始したのか理解に苦しむのだ。これは鳩山民主党党首が小渕前首相へのお見舞いの言葉を述べたのに対し、野中氏が国会の場で「小渕前首相の心と身をボロボロにした原因のいくつかが鳩山氏の発言にあったことを思うと、あまりにも白々しい発言だ」と批判したものである。あまりにナンセンス! 幼稚! 国会議員として信じられない低レベルであり、なぜこれをマスコミは問題視しないのか? 朝日新聞で有権者の声として批判を掲載してはいたが、石原発言を社説で取り上げながら野中発言に対する客観的評価を控えたのはなぜか? あまりに幼稚だから批判する必要もない? ではなぜ、これも同じ時期に森首相が発言した「起床時間なんて、嘘ついてもいいんだろ」なる発言を批判的に取り上げたのか? 幼稚さにおいてはこれも同レベルであろう。各紙の立場は野中・鳩山の喧嘩を面 白がってのゴシップ扱いだ。権力批判機能を全く果たしていない。バランス感覚を全く喪失している。最早、言葉を失う。悲しくなる。
しかし、実はこれからが「日本でまだ誰も言っていないコト」の核心である。これまで述べてきた発言はマスコミが少なくとも取り上げたものだ。(ただし、取り上げるだけなら学校新聞でもできる。)次の発言は、マスコミはもちろん聞き逃しているし、大多数の日本人も気づかなかった(であろう)失言である。
石原発言・野中発言があったのと同じ時期に、東海大学医学部付属病院において内服薬点滴ミスで幼児を死なせた事件があった。問題はこの時の院長の謝罪の言葉である。彼は「ご迷惑をおかけした」と述べているのだ。人の生命を奪っておいて何がご迷惑かっ! と思ったのは本当に少数ではないか。(これまで、マスコミ各紙・誌でこの失言に対する記事に一切お目にかかっていないのでそう判断した。)なぜ日本人の大半がこうした発言を聞き逃すようになったか。一つは“謝罪会見”に飽きてしまったという事実。(これはある意味で道徳観の衰退をも意味する。)もう一つは日本語の語学力の低下である。人の命を奪って「ご迷惑をおかけした」と言うことの非常識に気づいた日本人が何人いるか、どこかのマスコミで調査してほしいものだ。そして、なぜこの発言をマスコミは批判しなかったのかを一紙、一誌、一局、一局にうかがいたいものである。私はここでも、政治家の幼稚な問題発言を血眼になって取り上げるマスコミが、生命の尊厳を軽んじる問題発言に対して何ら批判する力を持ち合わせていないことに限りない失望を覚える。その日本語能力の貧しさには語る言葉もない。
バランス感覚の欠如。この一言に日本のマスコミは尽きる。ある事柄に過大にヒステリックになったかと思うと、一方では極端に批判精神を失ったまま放置しておいて平気なのだ。差別 用語の扱いなど、マスコミの言葉に対するバランス感覚の欠如ではまだまだ言いたいことがあるが、それについてはまた、次の機会とさせていただく。                   しっかりしてよ!


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