川中紀行の
「日本でまだ誰も言っていないこと」8

交通事故負傷者数の増加にみる危険な現代社会  

日本国内の交通事故による死亡者数が減少し続けていることは殆どの方の認識にあるだろうし、もちろん事実である。しかしマスコミは、交通事故負傷者の数が増加し続けていることは報道しない。タレントを集めて雛壇に座らせ日本人の学力低下を実証して見せる知性のかけらもない呆れたクイズ番組でスポンサーから広告料金をだまし取る民法キー局の頭脳では、そこにどんな意味が隠されているのかに考えが及ばないのは仕方がないことなのかもしれない。もちろん、交通事故死亡者数を遙かに上回るペースで上昇し続ける自殺者の数も深刻な問題だが、現在の危険きわまりないクルマ社会に納得がいかない私には、この交通事故負傷者の数が増加し続けているという現実がなぜ社会問題化しないのか理解に苦しむのである。
 警察庁交通局交通企画課「交通事故統計年報」によれば、2000年の交通事故による死亡者数は9,006人。ピークであった70年(16,765人)の54%、実に半数まで減少している。伝えられるところによると、その原因として横断歩道橋や道路の整備、ドライバーへの指導徹底があげられるというが、これにメーカーの側の車本体の安全性への努力が貢献していることは想像に難くない。もちろん9千人という死亡者の数は決して見過ごせない数字だが、私は幾多の要因で幸いにも減少している死亡者数を隠れ蓑に、増加し続けている交通事故負傷者数という事実がマスコミの報道タブー化しているのではないかという危惧を抱くのである。
 日本企業で広告費のトップを突っ走るのは言わずとしれたトヨタ自動車。ホンダ以下、各自動車メーカーも毎年、広告費ランキングの上位を占める。交通事故負傷者数の増加をもとに“クルマ社会の危険”を訴えることは、間接的にこれらの上得意先に悪影響を与えることは言うまでもない。だからこそマスコミは、交通事故負傷者数の増加というニュースを取りあげるのを躊躇しているのではないか。私がこの小欄で、少しでもこの事実に言及したかった理由の一つはそこにある。
 前述の警察庁の資料によれば、2000年の交通事故負傷者数は1,155,697人。仮にこの数字を同様に70年(981,096人)と比較すると、その増加率は118%。ともかく一度も前年比減少を知らずに増え続けているのである。これは、言い換えれば「交通事故によって命を奪われる可能性のある危険な機会が我々の社会で増加し続けている」という事実を示すものだ。ちなみに事故件数ももちろん増加の一途をたどっている。同じく2000年の交通事故件数は931,934件。これは70年の718,080件に対して実に130%という大きな伸びを見せる。私は閑静な住宅街の狭い道路を、なぜ高速で走るクルマに気遣って歩かねばならないのか常に疑問を抱き続けているし、同様に生命への危険も感じ続けて生活している。私はペーパードライバーでプライベートな場面でクルマを必要とすることはない。しかし、と言いつつもタクシーは(年に数えるほどだが)利用するし、日本各地には自動車なくして生活できない地理的な事情のある地域が多くあることももちろん承知だ。排気ガスと自動車の問題と同様、自動車が完全に現代社会の必要悪になっているという現実がある。自動車はもちろん、社会に必要である。しかし、だからと言って「交通事故によって命を奪われる可能性のある危険な機会が我々の社会で増加し続けている」という事実を放置してよいという結論には絶対にならない。しかしながら、こうした問題提起を知能低下の弱腰マスコミには期待もできない。私はここに教育問題と同様の絶望を感じずにいられないのである。
 はっきり言おう。対人・対車の接触を未然に防ぐSFに出てくるような高性能の交通事故防止機能(メーカーは開発中らしいが)が登場しない限り、今後も「交通事故によって命を奪われる可能性のある危険な機会が我々の社会で増加し続けている」という恐怖は永遠に続くに違いない。私はその原因に、自分の周囲に対する人間の注意力の低下という単純な事実を見つける。そして、その改善への期待にまたしても絶望するのである。
  私は本ホームページの各セクションで(一見関係のない「マンスリー広告批評」も含め)最近の日本人の公共マナーの劣悪さについて述べているが、そうした現代人の傾向と交通事故負傷者数の増加が密接に結びついていると断言したい。
 皆さんは最近、こんな思いを抱かれていないだろうか?
「人をよけようともしないで猛然と人混みに突っ込んでくる人間が多くなったな」「後ろの人を気にせずに平気で人混みで立ち止まって携帯電話で話し始める人間が多くなったな」「人の出入りが盛んに行われている改札口付近で、グループで場所を占有し平然と人の流れを遮っている人間達が多くなったな」「歩きタバコをしていながら、すぐ脇を人が通っても別段驚きもしない人間が多くなったな」「雨の日に、傘の先を後ろに立てて乱暴に歩く人が多くなったな」。
 お気づきだろうか? マナー違反数ある中で、これらは人の流れのなかでの配慮を欠いたマナー違反の事例だ。私が言いたいのは、これらはそのままドライバーとしてのマナーに通じるのではないかということ。つまり、前方・後方、四方八方に注意力を傾けるのはドライバーとしても当然のことであるという点だ。これらに「座席が空いていても詰めようともしないで大股開きで座っている」「満員電車で平気で大声張り上げて携帯電話で話している」「やたらと無意味に長いベルトがたくさん付いた最近のバッグを網棚に乗せる際、そのベルトが前に座っている人の顔に当たっても全然おかまいなし」という人混みにおけるマナー違反まで考えに入れたら、いかに「最近の人間が、周囲に気を配れなくなっている」かの立派な実証事例になる。自動車を運転するという行為が、いかに周囲への気配りを必要とするか。そんなことはライセンスを持っていない子供にだって分かることだ。
 なぜ「最近の人間が、周囲に気を配れなくなっている」かという疑問に対しては、教育はもちろんのこと、私自身は食生活に起因する重大な要因があると思っているのだが、既に人類はこの疑問を解決するシステムを放棄してしまった。それでなくとも食糧危機が予想される未来を前に、効率化の名の下に行われ続ける薬漬けの農業、畜産、漁業(養殖)には最早、歯止めがかけられない。そして食品に含まれる化学物質と現代人の様々な奇行や疾病との因果関係を確定することは、現代科学のレベルをもってしても不可能なのである。最近、食品に添加される化合物に関して2つの大きな事実の隠蔽事件があったが、私はそんなこと、地球規模で行われている超壮大な人体実験とも言える農畜産業、漁業の行いから見れば些細なことだという思いすらある。産地を偽ろうが、内容物を隠蔽しようが、それより何より、数少ない真っ当な生産者を除いて(当社は毎月そうした農家の方々を取材している)、食物を生産・獲得する基本の場で行われている恐ろしい現実がある限り全ての食物を信用することができなくなっているのだ。
 さて、話が横道に逸れてしまった。「最近の人間が、周囲に気を配れなくなっている」という私の実感を皆様も同じように抱かれているとしたら、それが交通事故負傷者数の増加と強い因果関係があることに納得いただけると思う。仮にこの仮説が事実無根の濡れ衣で、単なるクルマ嫌いの親父の戯言とおっしゃるのなら、それで構わない。しかし、だからと言って日本の交通事故件数とそれによる負傷者数の増加という事実を消すことはできない。そして、いまこの日本に生きている我々の生命の危険が増加し続けているという事実もまた同様である。景気が悪いからと言って、自動車の販売台数ばかりをニュースで垂れ流してよいのだろうか。半年を経過して果たして今年の交通事故件数、負傷者数、死亡者数は増え続けているのか、減っているのか。私たちの生命の危機に関するこの重大なデータを前に、自動車メーカーを得意先に戴くマスコミ各社は、ただ沈黙するのみである。
2002.6.7

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