川中紀行の
「日本でまだ誰も言っていないこと」10

コミュニケーションの退化としての"平板読み"。  

「平板読み」を一方言とする立場

いま「熱い戦い」や「支援の輪」という時、テレビでしゃべる人々の殆どは「厚い戦い」「紫煙の輪」と発音する。いわゆる「平板読み」とはこのように、時にアクセントを無視して平板に聞こえるように発音する読み方を指すが、この種の発音を批判する時、決まって反論を唱えるのが次の立場の方々だ。それは「平板読み」を、日本にそもそも方言として存在する「無アクセント」と片付ける立場である(栃木、茨城、福島各県の一部の方言のようだが、本欄では範囲を正確に記す目的を持たない)。背景に「東京語」あるいは東京を中心とする文化への拒否反応もあるようだが、昨今の「平板読み」を「日本語の一つのタイプ」と主張する立場は、"反東京"の視点では正しいかもしれないが、万人に通用する円滑なコミュニケーションを築く目的から逸脱しているのは明らかだ(理由は順次記していく)。さて、次に「平板読み」の現状を具体的な事例を挙げて確認していきたい。NHKを主に取り上げるが、これは私が(民放番組の劣悪さを理由に)NHKを観る機会がはるかに多いからである。よりタレント化が顕著な民放アナ(アナとは最早いえない水準だが)の「平板読み」がNHKより多用されていることは推して知るべしである。なお「平板読み」については、2006年6月5日発売の「サンデー毎日」において「最近の若手アナウンサーは『熱い』と発音しない」と小玉節郎氏が指摘されているが、本欄ではさらに深く考察を進めたい(なお、『熱い』と発音しないのはいま、全アナウンサーと言って過言ではない)。

NHKに広がる平板読み

「死や曲を発表しています。」2008年1月17日のNHKテレビ「おはよう日本」で、第138回芥川賞を受賞した川上未映子さんを紹介した松尾剛アナの発音を漢字で示すとこうなる。つまり「Si」にアクセントを置かない"平板読み"を行っているため「詩」が「死」に聞こえてしまうのである。当時、同番組でコンビを組んでいた首藤奈知子アナも、「赤」を「垢」と発音し「鯵」を「味」と発音するなど負けず劣らず酷かった。しかし NHKアナの「平板読み」は何もこの方々に限った現象ではなく、ベテランも同罪である。元NHKエグゼクティブアナウンサー(理事待遇)である松平定知アナは、2007年11月22日の「その時歴史が動いた」で「歌人」を「家人」と発音し、現NHKエグゼクティブアナウンサーの三宅民夫アナは2007年10月29日の「探検ロマン世界遺産」で(厳島神社は)平安建築を燃した(模した)ものと発音、1991年入局の黒崎めぐみアナは「白い足袋で」と言うべきを「白い旅で」と発音し、同期入局の池田達郎アナは「古都」を「事」と発音した。また、松尾アナより1年後輩だが、伊藤敏恵アナは1月17日の「ニュースウォッチ9」で「正攻法で臨めば」を「成功法で臨めば」と発音するなど各番組で「平板読み」が目立つ。本来、それぞれのアナのより豊富な「平板読み」事例データが必要なところだが、事例を1つ見ればこのアナたちの「平板読み」志向は明らかだと私は思う。

NHKの立場「質問への回答(1)」

「無アクセント」を日本の一方言と認めたとしても、ではなぜ日本の限られた地域の言葉の蔓延を我々は看過しているのか。最早、「平板読み」をしないアナウンサーはいない、と言ってよい事態にも我々日本人は「言語は変化するのが当たり前」などと悠長な解説を行っていてよいのだろうか。日本語には同音異義語があり、我々はこれらを一定の発音の規則と長く培ってきた(『無アクセント』を除く多数派たる)言語文化で区別してきたが、昨今の夥しい「平板読み」には共有可能なルールなど一切存在しない。それは、相手の立場をわきまえない(乱れた公共マナーにも似た)手前勝手な悪癖に堕している。同一の話者が同じ言葉を発音する際に、時にはアクセントを置き、時にはアクセントを無視する方言こそが「無アクセント」だが、日本語は正にこの「無アクセント」なる"方言"に侵食されているのが実情だ。そこで私はNHKの「問合せメール」で、この現状をどう解釈しているかについて具体的な事例を挙げ見解を訊ねた。以下はその回答である(なお、『熱いを厚いと同じアクセントにしてしまう』例は私が挙げたもので、『日本語発音アクセント辞典』に関しても購入の是非について私が訊ねている)。

「確かに、今、若者を中心にアクセントが平板化している傾向は顕著です。これが、多くの人に違和感を与えているのも現実で、私どもアナウンス室としては、全アナウンサーに本来あるべきアクセントの形を指導しています。実際には、間違ったアクセントに気付いたら直ぐに本人に指摘しています。また、一人一人が自覚を持って言葉を使うように注意を促しています。その手段として、放送で使う際のアクセントを明記した「日本語アクセント辞典」をいつも手の届く所に備えています。
この辞典はNHK放送文化研究所が専門家の意見を聴きながら、昭和18年の初版以来何度も改訂して編纂しているものです。
ご承知の通り、ことばは時代と共に変わって行きます。新しい用語が生まれるように新しいアクセントも現れてきています。多くが仲間内(例えば若者ことばのように)で使われ始め、やがて、仲間以外のところにまで広がって行くようです。厄介なのは一定の広がりを持つと、それで通用すると思われてしまう点です。
「熱い」を「厚い」と同じアクセントにしてしまう例の他にも、「熊」を頭高で発音する例、「映画」を平板で発音する例など、挙げれば限がありません。しかし、言うまでも無く、放送で伝えるプロのアナウンサーは、この様な流れに早々と染まってはなりません。
こうした例を川中様が放送で耳にされたとしたらお恥ずかしい次第です。これからも違和感が残らない表現を目指して、意識を高く持って放送に当たります。 NHKアナウンス室 NHK視聴者コールセンター」

NHKの立場「質問への回答(2)」

先の回答から見る限り、NHKの認識と姿勢は満足のいくものである。しかし、アナウンサーの現状を見る限り、この回答に疑問を覚えるのも当然だ。私はさらに、指導を徹底している割には頻発する「平板読み」の事例として松尾&首藤コンビ当時の「おはよう日本」を挙げ、なぜ「平板読み」が横行するのかを訊ね、さらに参考意見として「標準語」に対する見解を改めて確認した。以下はその回答である。

「重ねてお問い合わせを頂きました。私どもの答え方が至らなかったことを先ずはお詫びいたします。
川中様のご指摘は私どもにとって、恥ずかしく耳が痛いことばかりです。平板化が放送の中でも広がりつつあることは承知しております。ただ看過しているわけではないことだけはご理解下さい。精一杯に注意喚起と指導をしている結果として、この程度だということです。具体的には、気付いた時点で現場ごとに即、注意をしています。また、今年度からは、こうしてお寄せいただく数多くの外部からのご指摘を整理して全国のアナウンサーグループに送り、業務に反映させています。ことばが変わり行く中で、アナウンサーは最後尾を歩むべきだとの意識は全員が持っている心算です。引き続き、この方針を徹底して参ります。次に、「本来あるべきアクセントの形」へのご疑問についてお答えします。放送で用いる言葉とは、私どもNHKでは「現代共通語」を意味します。東京の山の手方言を基盤にして出来上がってきた、現在広く使われていることばです。
川中様もご承知の通り、これが「あるべき形」という強制力をもったことばは存在しません。多くの人が歩きつくりあげ誰もが共通に理解しやすい語といわれることばを言わば「共通語」と呼ぶのでしょう。誰にも分かるように伝える使命を持つ放送はこうしたことばをいつも求め続けています。
NHK放送文化研究所では毎月、識者と共に用語のあり方を調査検討してまとめています。これも、ことばは生きていて変わり続けているからのことです。その集大成が「日本語発音アクセント辞典」として数年毎にまとめられています。
これは、NHK出版から市販され、誰でも購入できますので、是非一度お目通し下さい。(4000円程度のものです)最後に、実態はどうかということについてお答えします。
最初にも申し上げましたが、一度身に付いたもの、周辺がそれを容認しているものは、正直に申し上げて改善しにくいのに頭を悩ませています。
しかし、違和感の残らない放送を心がけるのは当然のことです。今後とも、本人のみならず、周辺の作業者の自覚も促し、誰にも分かりやすい放送を心がけて参ります。少し長い目で見守って頂ければありがち事です。今後とも、よろしくご鞭撻の程お願いいたします。今後とも、NHKをご支援いただけますようお願いいたします。お便りありがとうございました。 NHKアナウンス室 NHK視聴者コールセンター」

私は、NHKの「多くの人が歩きつくりあげ誰もが共通に理解しやすい語といわれることばを言わば『共通語』と呼ぶ」という、日本語の退化に抗する確固とした立地点に共感を覚えた。
また、「私どもNHKでは『現代共通語』を意味します。東京の山の手方言を基盤にして出来上がってきた、現在広く使われていることばです。(中略)誰にも分かるように伝える使命を持つ放送はこうしたことばをいつも求め続けています。」という「現代共通語」の定義とそれを重んじるNHKの姿勢にも納得した。
我々は"平板読みも方言の一つ"などと言う開き直りや"時代が変われば言葉も変わる"式の放置主義をやはり見過ごすべきではないのである。次項で改めてその理由を整理したい。

コミュニケーションの退化

私が「平板読み」を憂えるのは、何も「東京語」が標準語の基準として定着しているからという規則主義を盾にしてのことではない。「平板読み」は明らかにコミュニケーションの退化につながる障害だからだ。現役アナウンサーに対するNHKの見解は率直であり、その意味では好感をもって迎えたが、だからといって「アナウンサーの能力の問題であり情けないが仕方ない」と済ませる訳にはいかない(これはNHKも同様の考えだが)。それももちろん、言語はコミュニケーションのために存在するものだからだ。

2008年5月11日(日)の「真夜中なのに生放送! 連休明けもさだまさし」で次のような投稿ハガキが読まれた。
それは、テレビから「人気OLブッシュ大統領」というニュースが放送されて驚いたが、よく観ていると「任期を終えるブッシュ大統領」というニュースであったという"笑い話"である。この聞き間違いを精査すると、アナウンサーが「任期を終える」を「平板読み」で読んでいたであろう事が容易に想像される。これを"笑い話"と片づけてよいのだろうか。いや、この事例は明らかに聞き間違いの誘発を放置したコミュニケーションの退化そのものである。聞き直せばいい?  補足すればいい? あるいは想像すればいい? 会話でそんな行為をいちいち行わなければならないとしたら、最早それは言語ではない。「平板読み」が、第三者である聞き手に混乱をもたらすことは間違いないのである。もっと言えば、「平板読み」は、共有する文化を持たない外国人が日本語を学ぶ際の障害になり、日本語の普及をも妨げるものだと言える。ルールがないのだから。本項の最後に、この"笑い話"のような状況を作りだす可能性のある意味を取り違えやすい「平板読み」の事例を挙げる。※()内が正しい発音を示した漢字である(以下共通)。
齢300年の杉が待って(舞って)いる。-2007年11月28日「生活ほっとモーニング」内田勝康アナ。/賞品(商品)-2008年1月30日「ニュースウォッチ9」伊藤敏恵アナ(同番組で『飛行機後部を吸った(擦った)』という発音事例もあり)。/紅白の鳥(主任)は、-2007年12月29日「生放送! あなたが選ぶ思い出の紅白・感動の紅白」徳田章アナ。/前線(全線)で運転を再開しました。-2007年6月21日「おはよう日本」小郷知子アナ。/魚を砂漠(捌く)手間-2007年1月13日「おはよう日本/まちかど情報室」田村泰崇アナ(91年入局のこの方も『平板読み』を多用する一人だ)。こうした情けない事態に、NHKは「ただ看過しているわけではないことだけはご理解下さい。精一杯に注意喚起と指導をしている結果として、この程度だということです。」と素直に述べている。しかし、だとするなら事態は想像を絶する深刻さである。情けないを通り越して腹立たしいし、指導力それ自体に甚だしい疑問を覚える。
なぜならNHKが断固として「現代共通語」を守る立場を鮮明にしている以上、「平板読み」をする、しないは技術以前のプロ意識の問題だからである。

「平板読み」への関心

放送局は、事実に反した情報の訂正は行うが、もちろん「平板読み」を番組内で陳謝することは一切ない。
最近は、共演者が指摘するケースも見られない。これは民放の事例だが、TBS「はなまるマーケット」で、レポーターの雨宮朋絵(30秒に1回は『平板読み』をはさむ"大家"の一人)が「実がなる」の「なる」を「鳴る」と発音した際に薬丸裕英氏が注意した場面をたまたま観たことがある。薬丸氏はインタビューの語彙も豊富で脇を固めるアナウンサー連よりよほど安心して話を聞いていられるのだが、私が知るなかで唯一「平板読み」にチェックを入れる方でもある。たとえば2007年4月5日の同番組で薬丸氏は、「メカブ」のアクセントを「メ」に置く人と「カ」に置く人がいると指摘し「平板読み」に問題提起している。ここで広重玲子アナが(退職した)後輩の海保千里アナに「メにアクセントを置くべし」とたしなめていたが、実はこの御両人とも「平板読み」には何の注意も払っていない。ちなみに民放では、日本テレビ・葉山エレーヌ アナの「初めて漫画を呼んで(読んで)泣いたそうです」にも驚いた(2007年12月8 日『日本映画2007ヒットの法則』)。

「平板読み」への注意力喚起を

言葉のプロと言えば、ナレーターのベテラン滝口順平も「鍛えられてきました」の「鍛えられて」を「伝えられて」の発音で言っていた(2008年1月13日『ぶらり途中下車の旅』)し、同じくベテランナレーターの武田広(この方の『平板読み』もかなり気になる)は、メニューの紹介で「8品に酒がいっぱい(1杯)付いた」と発音している(2008年1月19日『出没!アド街ック天国』)。
他の「ナレーター」諸氏もおしなべて「平板読み」のオンパレードなのだから誠に信じ難い状況である。ちなみにCMの「平板読み」もお盛んだが、恐らく演出家が撮影の際にナレーターやタレントの「平板読み」を直すことなど皆無なのだろう。驚いたことに、アナウンサーやレポーターたちが「平板読み」を行った後で、同じ言葉を一般の方や場合によってはタレントが(標準語の常識として)正しいアクセントを付けて発音するケースも数多く目立つのである。だからこそ事態はより深刻なのだ。
これら「平板読み」の濁流を前に、私は正に成す術のない状況であるし、もちろん何かを成す力も私にはない。
しかし先のNHKの回答に「今年度からは、こうしてお寄せいただく数多くの外部からのご指摘を整理して全国のアナウンサーグループに送り、業務に反映させています。」とあったように、ただ批判を目的にするのではなく、真摯にコミュニケーションの視点から「平板読み」の是正を訴えることで、何らかの気づきを"プロの話し手"に私は与えたいのである。
(2008年5月16日)


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