「助けて
くれる
人は
若い人や
子ども
たちが
多い。」
「自分が親になって感じたこと」として海老名市のM・Mさんが最近の若者たちについて投稿している(ミオ2月号:コープかながわ)。「礼儀正しい人も多い」とも。別の主婦向け雑誌でも同様の投稿があったと妻。本当はどうなのでしょうか、私には実感がありません。
●No.628/03.1.31
「若
ごぼう。」
当社は毎月、全国各地の農産物を農家の方に取材する仕事をしているのだが、殆どの方が取材した野菜や果物を無料で送ってくださる。今週は大阪府八尾市から若ごぼうが届いた。茎・根・葉まで食べられる特産野菜で独特の歯ざわりと香りで有名。ご好意を有り難く頂く。
●No.627/03.1.30
「自分
探しの
不幸。」
なる題で羽仁進・倉本四郎の両氏が対談している(フラウ2/11号)。羽仁氏は「自我なるものが病の素」と述べているが、こんな自由人だから言えるのであって社会的な自己は当然必要だ。そう言えば本日発売のananのテーマは、またも「新しいわたしになる」だ。
●No.626/03.1.29
「不適切
だったと
反省して
いる。」
とは本日の予算委員会での小泉純一郎議員の答弁。先の「大したことではない」発言を陳謝したものだが、仮にも一国の首相が国民に発したメッセージ(公約とは私も思わない)をこのように粗末に扱うとは。おだてられると増長する、人間の性を如実に証明している人だ。
●No.625/03.1.28
「深く
お詫び
申し上げ
ます。」
と、今朝の車輌故障を詫びる東急田園都市線の車内アナウンス。しかし、先日の営団地下鉄が原因の遅れにも同じ言葉を用いていた。まずそれがおかしいし、第一、深くお詫びしている声がなぜマナーを呼びかける声と同じトーンなのか理解に苦しむ。つまり事務的なのだ。
●No.624/03.1.27
「いま
◯◯駅で
電車に
乗った
から。」
と、座席に座ってから携帯電話を使う人が非常に多い。なぜ乗る前にホームで話さないのだろう。また、私は会社を出る時にワンコールするだけだが、時刻表は一定しているわけだから帰宅時間は自ずと分かる。しかし、多くの人間が途中の車内で家族に携帯で伝えている。
●No.623/03.1.26
「拉致問題
に妥協は
ない。」
拉致に関する日本マスコミの姿勢は本当に奇妙だ。この言葉は安倍官房副長官が本日述べたらしくニュースで笑みさえみせていた。なぜこの人物が拉致の英雄なのか?
交渉が暗礁に乗り上げたのは安倍の失策だ。順調なら核開発問題だって日本が外交の主導権を発揮できた。
●No.622/03.1.25
「Hands
on
manager。」
は自ら手を汚す経営者、Hands off managerはその逆と、トップ像を語った佐々淳行・初代内閣安全保障室長(経営者会報2月号)。もちろん小泉首相は後者だが「首相は口を出さない方がいい」とはよく言う。では、この経済危機の責任は一体誰が取るのか。
●No.621/03.1.24
「父
ちゃん。」
という名前を愛犬に付ける家族。本日の「にんげんドキュメント」は父の自殺を乗り越えようとする息子、娘、そして母を追った。自殺の是非は問わない。ただ、残された子供達が亡き父を呼ぶ言葉にあまりにも純粋な愛情が溢れ悲しかった。これも不況下の一つの現象だ。
●No.620/03.1.23
「喉から
手が
出るほど
言い
たい。」
と本日の「はなまるマーケット」で菊川怜。通常、喉から手が出るほど欲しい、という用法で使われ、自分の外にあるものを自分の手にしたい感情なので、この言い方はもちろん間違い。この世代のタレントは最早、東大を出ていようがいまいが日本語における無法地帯だ。
●No.619/03.1.22
「死者、
選択
せよ。」
ご存知、シャッキー主役のTV朝日「スカイハイ」のキャッチフレーズ。その主題でもある「死者」と取捨選択の「取捨」を掛けたのだろうが、恐らく釈本人も多くの若者も理解できないだろう。取捨選択を漢字で書け、なんて言われたら日本人の何%が書けるのだろうか。
●No.618/03.1.21
「土は
美しい。
それを
伝え
たい。」
と言う造形作家・栗田宏一氏について朝日新聞本日朝刊。全国の土を集め、乾かし、ふるいにかけ、細いガラス管に詰めると、淡い桃色や、青や灰白色など様々な土の色が姿を表すという。そう言えば最近、地面を間近に見ていないと思った。子供の頃は大好きだったのに。
●No.617/03.1.20
「虫が
食べ
られる
から、
人間も
食べ
られる。」
本日の「ガイアの夜明け」は合併問題に揺れる地方公共団体の象徴として熊本県・清和村の活動を取材。この言葉は、虫に食われた村の野菜を手にした兼瀬村長の呟き。その通り! 合併の時、ゴミ収集は一番遅れている地域に合わせると暴露したのは田中長野県知事だった。
●No.616/03.1.19
「判断を
遅らせる
くらい
なら
ノーと
言え。」
が持論の生田正治・日本郵政公社初代総裁(朝日新聞本日朝刊)。商船三井の会長として米・オランダ・香港の3社と定期コンテナ船の共同運航を決めるなどした強腕がこの言葉にも表れている。一方で沈思黙考という言葉もあるが、確かに早い決断が求められる時もある。
●No.615/03.1.18
「毎日の
昼食を
撮る。」
と、カメラ付携帯電話を持ちながら、その利用方法について電車での会話。例えばトイレで毎日、大便を撮って医者に診てもらう、酒の減り具合を連写するなど。ちなみに私の携帯はメール機能すらない。街で何気なく撮影している人を見ると、何だか欲しくなる時がある。
●No.614/03.1.17
「一青窈と
なると
判じ物
だ。」
と本日の日本経済新聞朝刊。言葉あるいは世代における格差がこの中に凝縮する。私46歳は一青窈を知らなかったが、逆に判じ物なんて言葉はたぶん落語か時代劇が好きな人しか理解不能のはず。よってこの文章の内容が完璧に分かる人間はごく限られているはずなのだ。
●No.613/03.1.16
「日本の
大学は
明治以来の
大改革が
必要
です。」
と寺脇研文化庁文化部長(本日発売のブルータス)。学力低下を一切認めようとしなかったこの人に教育について語る資格はないが「18歳、30
代、研究者、生涯学習など学ぶ人によって」大学のランクは変わるというのは納得する。でも日本の教授陣は応えられる?
●No.612/03.1.15
「ドクハラ。」
とは医師による言葉の暴力、ドクター・ハラスメントの略(サンデー毎日1/26号)。同名の書籍もあるが、頭蓋骨骨折の患者に充分な治療をせず、面談すると「脳をそこまで回復させた。脚の腫れくらい何だ、交通事故に遭う方が悪い」と言うとか。世も末とはこの事。
●No.611/03.1.14
「獲れたて
苺の
小枝。」
というチョコレートが籠に乗せられて、とよのか苺のパックと一緒に並べられていた(生協・中央林間店)。確かに関連陳列は小売業の一つの手法だが、このケースは強引すぎて笑ってしまった。他にも苺がコンセプトのお菓子がズラリと。買う人ってどれ位いるのかなぁ。
●No.610/03.1.13
「朝から
晩まで
奥さんと
お母さんと
一緒に
虫を
取って
いる。」
という無農薬栽培水田の石黒文雄さんの話を近所のお米屋さんから。早速、その石黒さんのコシヒカリを買い求める(五分搗き)。このお米屋さんは現地で稲作を体験しながら仕入れているので知識豊富で安心。もちろんおいしかったが、次は白米で味わってみようと思う。
●No.609/03.1.12
「君ら
若い
もんが。」
と桂米朝師に言われたと、桂三枝師(本日の『素顔が一番!』)。今年7月で還暦を迎える彼も米朝師から見ると“若いもん”になるという落語という芸の奥深さについて語った。タレント紛いの噺家も中年以上になると芸に還る人が多い。林家こぶ平の高座も評判がいい。
●No.608/03.1.11
「車椅子の
方のための
スロープ化
です。
車椅子の方
体の不自由
な方のため
に、自転車
は置か
ないで
下さい。」
と五反田東急ストア1階入口付近に貼紙がある。しかし、その貼り紙の下には自転車がぎっしり。何故だろうか? 日本人って、昔からそんな民族だったのか?
道徳教育の必要が叫ばれている。結局、この日本を救うには学校と家庭教育を問い直すしかないという思いが強い。
●No.607/03.1.10
「有能な
チームには
魔法の
ような
ものが
働いて
います。」
仕事で読んでいるチームワークに関する本から。いま、書店のビジネス書コーナーにはリーダー論やチームワーク論が数多い。日本の組織に魔法が働かなくなった原因は、自分の事を棚に上げて同僚を揶揄する心根にあると、零時過ぎの満員電車の中で常に素面の私は思う。
●No.606/03.1.9
「約束を
守る。」
今夜の「プロジェクトX(再)」は、船長342m、当時世界最大の石油タンカー出光丸の物語。これは船体工事の総指揮者・南崎邦夫氏の決意。「武士に二言はない」とも。小泉議員に聞かせてやりたい。驚異の1千社プロジェクト。まだ日本人の心が澄んでいた時代だ。
●No.605/03.1.8
「こまっ
ちゃう
ほど犬が
好き!。」
99/2とにかく、犬が好き! 00/2ますます、犬が好き! 01/2今世紀も、犬が好き! 02/どうしてこんなに、犬が好き?
と4年続いてきたクレア2月号犬特集の今年の言葉がこれ。表紙写真が犬種人気の推移を物語る。ペット関連の仕事の資料として用いている。
●No.604/03.1.7
「半農
半X。」
とは「生活の半分は自給自足のための農業に費やし、残る半分は自分がやりたい趣味やボランティアなどの『X』に使う」こと(本日の日本経済新聞朝刊)
。スローライフを突き詰めるとこういうことになる。現在の殆どのスローライフ論は生活水準の低下に触れていない。
●No.603/03.1.6
「アナスタ
シア。」
動画化されたロシア皇女アナスタシアからの命名か知らぬが、ロシア生まれ日本育ちのピーマンの名。仏資本のスーパーで見つけて買い、残り物の牛肉と共に炒めた。(郷土料理を尊ぶ)スローフードを喧伝する皆さん、一体この行為はスローフードですか? 違うのですか?
●No.602/03.1.5
「ゴミは
ゴミを
呼ぶ。頭の
中はゴミ
だらけ。」
本日の「ウェークアップ!」は環境問題を特集。この言葉はC.W.ニコル氏が実感する日本人の姿。来日した40年前は我々の美意識に驚いたと言う。ドイツやイギリスの環境への取組みを紹介していたが、果たして日本は? 結局、誰も日本人ができるとは言えなかった。
●No.601/03.1.4
「シュウビを
飾る。」
と第79回箱根駅伝・復路戸塚中継所付近での船越アナの実況。こんな日本語はない。掉尾(とうび)を飾る、である。これではその辺りのタレントと変わりない。往路では過去の最高記録を新記録と言い続けてきた。復路で言い換えたと思ったら歴代記録とまた間違えた。
●No.600/03.1.3
「いつも
歩く
道を
離れ、
未踏の
道に
踏み込み
森の中に
飛び込み
新しい
ものを
探れ。」
本日午前零時過ぎの「ノーベル賞新春スペシャルトーク」から江崎玲於奈氏の言葉。小柴昌俊氏の「100年経っても役に立ちません」もよかった。それも物理学の1つの姿かもしれない。今年、我が社は1つ私も1つ、新しい目標を目指そうと考えている。ともかく前へ。
●No.599/03.1.2
「無気力
無反応
無関心
無作法
無目的
無表情
無常識
無責任
無自覚
無自己
無抵抗
無意識
無批判
無能力
無学力
無教養
無節制
無定見
無思想
無プロ
セス。」
なる井上圭司・めばえ学園理事長の“二十無主義”を取り上げた元旦の日本経済新聞朝刊。無意識や無抵抗など真意を計りかねる言葉もあるが、近頃の若者が多くの物を失いつつあるのは確かだと思う。それが何かを生む?
そう考えるのは自由だが、無責任な賭けだと思う。
●No.598/03.1.1 |