「強羅
花壇。」
箱根・強羅地区にあるらしい高級料亭旅館の名(フラウ12/11)。実はこの名前が気になるのは、最近の雑誌の冬の旅特集に出過ぎるほど出ている名前だからである。パルコの賞品にまで顔を出したこの旅館、むしろ強羅花壇を掲載しない冬の旅特集の方こそ気になる。
●No.268/01.11.30
「お電話番号
お聞かせ
願え
ますか?」
電話をかけ伝言を頼むとこう言われる。私が「先ほどお電話頂戴したので」と言っているのに、である。もちろん電話番号を控えることはとても重要だが、対応がマニュアル的なのだ。私など名刺交換した方でも、外出されている場合には言われなくても電話番号を伝える。
●No.267/01.11.29
「性差。」
本日の朝日新聞夕刊・文芸時評のテーマはこの言葉。「性差よりも個人差を意識」と藤野千夜氏は述べる。私とて社員にはまず個人差で接するが、肉体的な違いなど一方で性差を考えることも重要だ。小説で彼・彼女を使わないのは勝手だが、狂信的な“性差差別”は困る。
●No.266/01.11.28
「リストラ
。」
を使わずに「人減らし」と表現した朝日新聞に好感を持ったのも束の間、本日夕刊では16種ある気象注意報が多すぎるから「リストラ」と大見出しで報じている。中途半端なレトリック(駄洒落等)は一般紙の“お得意”だが、曲解したリストラの意味を広めた罪は深い。
●No.265/01.11.27
「すべての
物にポン酢
。」
など女子高生の食生活の実態を報じた本日発売のサンデー毎日。3食マクドナルド。米が食べられない。肉しか食べない。3食コンビニ弁当。母の作るめしは食べない。柳麺に唐辛子1本。野菜しか食べられない。私は過度な偏食と携帯は生態系の人口調整機能と解釈する。
●No.264/01.11.26
「人減らし
。」
昨日の朝日新聞はこの言葉で企業の人員削減計画を紹介。マスコミ、特にテレビは“リストラ”を正に人減らしの代用として用いているが、手元にある93年の日経の連載「日本のリストラ」では純粋な組織論のタイトルとして使われている。リストラは人減らしではない。
●No.263/01.11.25
「菩提心。」
昨日の心の中に宇宙あり(再)で比叡山延暦寺・小杉隆彰大僧正は「思って行う」意のこの言葉を紹介。「明日の自分は今日を見よ」と毎日の“思いと行い”の大切さを説かれた。「菩提」は悟りの境地を指すから凡人には不可能に近い言葉だが、少しでも近づきたいと願う。
●No.262/01.11.24
「しみったれ
じゃ
ねぇか。」
本日のレッツ! で春風亭小朝師が「しみったれじゃねぇか」「俺はケチじゃねぇよ」という対話を通じ古典落語の語彙の豊富さを語る。何も江戸弁の復活を望むわけではないが、昨今の日本語表現の貧しさには愕然とする。それも血迷った学習指導要領が原因の一つである。
●No.261/01.11.23
「このドアが
開きます
。」
首都圏のJR・地下鉄等の車内で次の駅で開くドアを表示するボードの文章が気になる。この文章が表示されているのはドア自体でなくドアの上だから「下のドアが開きます」が正しいはずだ。こうした曖昧な表記が操作マニュアルの類を理解しにくくしている元凶である。
●No.260/01.11.22
「感動
した!」
昨年11月、本欄で私は“感動の安売”を嘆いたが、朝日新聞本日夕刊で斉藤美奈子氏も小泉首相のこの発言及び昨今の“感動ブーム”を揶揄している。氏の言うように流行語大賞は小泉発言になるのだろうか?
それをマスコミが讃える姿を想像するだけで、私は絶望する。
●No.259/01.11.21
「真理子。」
クレア12月号で林真理子が小池真理子を評価している。この二人、互いにエッセイで中傷し合った仲なのだが、今回の林氏の文章もここまで褒めると“褒め殺し”に近い。私は小池真理子ファンでその描写力を当代随一と思っており、林氏に正統な判断は下せないのだが。
●No.258/01.11.20
「男女平等
同権
共同参画
社会。」
に「男女の役割は違う」と違和感を覚える岩見隆夫氏(本日発売「サンデー毎日」)。考え方には共感できるが3つを一括りにするのは乱暴だ。私は「平等・同権」は当然だが「共同参画社会」は理念に疑問を抱く。他ならぬ女性の側の意識が熟していないと言いたいのだ。
●No.257/01.11.19
「青菜に
塩。」
本日のサンデー・ジャポンは、諺の地位低下に関する平凡なトーク。いまさら誰が何と言おうと驚かぬが、日頃、日本文化云々を口走るテリー伊藤がこの諺を知らなかったのには失望。なんでデーブ・スペクターに「表現力を豊かにした方がいい」などと言われねばならぬ。
●No.256/01.11.18
「分からない
。」
岩波文庫「読書のすすめ」(第6集)に収められた8 編中に偶然、「わからなくても面白い」(轡田隆史)、「分からない何かに引き寄せられる」(高橋英夫)の2編が。翻って「分からないことは面倒臭いから関係ない」というのが若い世代。読書離れを食い止める術は。
●No.255/01.11.17
「夏は
来ぬ。」
「声に出して読みたい日本語」に「夏は来ぬ」という歌の歌詞あり。「うの花のにおう垣根に、時鳥 早もきなきて、忍音もらす 夏は来ぬ。」冬の夜空の下でさえ歌いたくなるほど清らかなこの初夏の詞の世界は、しかし現実の世にはない。我々が失いつつあるものは数多い。
●No.254/01.11.16
「できまへん
なぁ。
自動車に、
飛べと
言うのと
一緒ですわ
。」
取材で某メーカーの営業の方と同行。先輩・同僚の内輪話を語る口調はさすが営業! この言葉は、客先で無理な依頼を受けた時に先輩社員が言ったという。その先には「ウチの会社の社長は、自動車を飛ばせるにはどうしたらいいか考えろ」と言いますな。の落ちがあった。
●No.253/01.11.15
「考えたく
なったら、
いすに
座って
電気を
つけろ。」
朝日新聞本日夕刊に原巨人軍監督の記事。これは父・貢氏から贈られた言葉。三池工業・東海大相模を優勝に導いた氏の面影がのぞく。「布団に入って考えるな。マイナス面しか考えない。」息子・辰徳の「私の夢には続きがあります。」の引退時挨拶にも酔った人は多い。
●No.252/01.11.14
「アメリカン
航空の
モノとは
異なり
まして、
プラット
アンド
ホイット
ニー社製の
たいへん
信頼できる
機種を
採用。」
とは、米国航空機事故の翌朝のJAS331便の機長によるアナウンス。近頃は国内線でさえ安心して出張に行けない。それにも増して、手荷物はお一人様一つと命じながら四つも抱えた婦人を搭乗させるなど、羽田や地方空港のいい加減な手荷物検査がとても気にかかる。
●No.251/01.11.13
「最近
トイレの
汚れが
目立ち、
苦情が多発
して処理に
困って
いますので
汚さない
ようお願い
致します
。」
いま地下鉄「表参道」駅B4出口近くのトイレに貼られている注意書きの文章。これもマナー崩壊の一つの証拠だ。私が入った時、ロマンスグレーの紳士が“個室”のドアを開け放して用を足していた。公衆トイレにすら気配りできない人間にいかなる事を言う資格もない。
●No.250/01.11.12
「80、90は
まだまだ
老人世代の
ティーン
エイジャー
。」
当夜のラジオ深夜便で紹介された聴視者からのハガキの言葉。「1万人を越える100歳以上のお年寄りに比べれば」という文面であったが、80〜90歳は高度成長時代に働き盛りの消費者であった世代である。シルバーマーケティングは、老人心理はどう捉えるべきか。
●No.249/01.11.11
「台詞を
覚える
脳細胞が
死滅した
。」
本日のメレンゲの気持ちで女優復帰した仁科亜季子がこう嘆いた。「練習を1日休むと自分に分かり(中略)3日休むと観客に分かる」とは、ピアニスト等の毎日の練習の大切さを表す言葉だが、書く仕事も継続することで書くために要する脳細胞が進化していく気がする。
●No.248/01.11.10
「悪口
ばっかり
。」
という妻の賢明なる批判にも拘わらず、当社・陽子ちゃんの「ライター講座で“批評精神”が大切と教わりました」なる言葉を勝手によい意味に解釈しつつ今日で1周年の本欄。たまに寄せられる「私、ファンです」という言葉だけを信じて、このまま続けさせて頂きます。
●No.247/01.11.9
「マタ
タビ。」
ブレーン12月号の対談記事中で津村耕佑氏の語った映画の題名をこう記しているが、正確には「股旅」である。73年ATG、監督は名匠・市川昆。固有名詞を調べもせず適当に書く神経を私は信じられない。まさかYAHOO!で検索できなかったからとは言わせない。
●No.246/01.11.8
「楽しい
取材で
ありがとう
ござい
ました。」
本日取材した青山「シェ松尾」ソムリエールの方の言葉。言葉がぶつかり合うインタビューでは互いに発見があり波長が合った時のその場の空気は刺激的だ。こんな言葉を頂くのは一つの取材者冥利だが、翻って会話の希薄化が進む現代は人間の大きな楽しみを失っている。
●No.245/01.11.7
「太陽。」
つまり長嶋前監督が「いない寂しさを埋められるのは、この人しかいないかも」と原辰徳新監督を評した朝日新聞本日夕刊。同世代で同じ神奈川、しかも母校が首都大学リーグだった私は彼を高校の地方大会から見てきた。週刊誌に何と叩かれようが原のファンもまた多い。
●No.244/01.11.6
「きのこ
会。」
朝日新聞本日夕刊に10月7日死去した元広島平和文化センター理事長・大牟田稔氏の記事。氏は原爆小頭症の患者と家族で結成されるこの会を発足から世話し続けた。おそらくは“きのこ雲”に生命力ある“茸”を掛けたのだろうが、痛々しさを誘うWミーニングである。
●No.243/01.11.5
「そこまで
するのか
。」
日本経済新聞本日朝刊で志望企業の社長宛にDMを送れと言われた56歳のこの言葉を紹介。甘い! なぜ応募したかの問いに「人事に言われたので」と別の中高年の答え。甘い!
そごう退職者にも感じたが、世間を甘く見過ぎた中高年の元大手企業社員に職がないのは当然。
●No.242/01.11.4
「緑汁。」
今日入ったピザショップのMENUに「カボチャは…天然の緑汁(ヨモギやフキノトウのエキス)で除虫」とある。理解はできたのだが馴染みのない言葉だし新明解国語辞典(第3版)にはなかった。園芸家には常識なのだろうが、“新語”っていろんな世界から生まれる。
●No.241/01.11.3
「日本
トップ
クラス。」
日本経済新聞本日朝刊。最近この種の見出しを見ないが、日本の研究機関・研究者によるナノテクノロジー(超微細技術)分野の特許出願数(1位NEC)、研究論文の引用回数が世界の上位を占めたという。ただ「日本が目立つ分野は珍しい」という記述の方が気になる。
●No.240/01.11.2
「ぐしゃ
ぐしゃ
ですか?」
少しでも仕事がたて込んでいる話をすると「ぐしゃぐしゃですか?」と聞いてくる。冗談じゃない。そんな状態で責任ある仕事はできない。締切りが重なれば緊張もするが、私は極力「バタバタする」状態にもならない努力をする。この種の言葉を操る人間は鈍感だと思う。
●No.239/01.11.1 |