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“広告会社”という言葉への大いなる疑問

マンスリー広告批評〈04.10月〉

なぜ「広告会社」なの?

こ こ数年、「広告代理店」という言葉は時代遅れの表現で「広告会社」と言うべきであるという風潮が罷り通っている。その背景には、「広告代理店」なる表現が いわゆるスペース・ブローカー(広告枠を取るだけの取次会社)であった時代の名残りであり、クライアントに対するコンサルティングが重要になりつつある今 は「広告会社」と言うべきだとする考え方が存在する。私は、この「広告会社」という言い方、そしてそれを支えている安易な考え方そのものに疑問を覚える。
その理由の第一は、「代理店」という言葉をなぜスペース・ブローカーとイコールで捉えねばならないかという疑問だ。「代理店」という呼び名は、何も広告業 界に限ったものではない。ある商品・サービスを提供するうえで、資本関係とは別に自社の業務の代理を行う組織を多くの業界で「代理店」と呼んでいる。新明 解国語辞典(第三版)によれば、「代理」とは「その人に代わって事件・事務などを処理すること。またその人」とある。広告出稿において、この「処理」に当 たる業務は何も広告媒体のスペース取りに限ったものではない。そこに出稿する「広告」を制作する業務も自ずと含まれる。また、どんな仕事であっても少なか らず人の代理をプロとして行う場合は、ある種のコンサルティング(『相談に応じること』同じく新明解国語辞典)が不可欠である。つまり、広告業界の手前勝 手な解釈ではなく、世の中の常識において「代理店」という言葉は単なる取次以上の機能を備えた存在として認知されているのである。したがって“コンサル ティングが重要になりつつある”「広告代理店」を「広告会社」と言い換える意味は言語文化的には殆どないと言ってよい。後述するが、言葉としては「広告会 社」の方が「広告代理店」より不完全ですらある。
理由の第二は、広告における「コンサルティング」の領域を不明確にしたまま「コンサルティング」を境界線に設定し、世の中の「広告代理店」を全て「広告会 社」と呼ぼうとする矛盾に満ちたその論理にある。果たして昨日まで「広告代理店」と呼ばれていた日本の「広告代理店」は、今日からすぐ「広告会社」と威 張って言えるだけの機能を備えているのか。しかし「広告会社」なる言葉の根拠となる「コンサルティング」の領域そのものが定義されていないのだから判断す らできない。

「広告会社」の否定

雑誌「宣伝会議」本年7月号・24ページに掲載のジェイアール東日本企画常務取締役営業本部長・田辺滋氏のコラムを私は実に興味深く読んだ。
氏はこの中で「日本では、まだ『広告代理店』で、『広告会社』というのが定着しているとは思えない。代理業のマージンを得ることの限界に気づき、日本の社 会で生き残っていくため、いわばコンサルフィーとしての対価をも得なければ生きていけないと思った人たちが『広告会社』と言い出したのでは考えている」と 述べている。私が田辺氏の言葉に注目したのは、定義を放置したまま「広告会社」という言葉が一人歩きしている現状に、ストレートに異を唱えた最初の人物 だったからである。
この「コンサルフィーとしての対価を得る」という行為を今後の利益に含ませようとする「広告代理店」の姿勢は至極もっともである。もともとアイデアへの対 価意識が低い国だと言われている日本文化を変革する第一歩ともなろう。だが、だからと言って「広告代理店」を「広告会社」と言い換える必要はない。それ は、広告における「コンサルティング」の水準をどこに置いているのかを明快にした後で初めて論理的に可能になる。これまでも少なからず「コンサルティン グ」を行ってきた「広告代理店」を否定し、新たに「コンサルティング」を旗印に「広告会社」を自称するのだから領域に関する新しい定義が必要なのは当たり 前の話だ。時折、業界紙誌に登場される大学の先生方は、単に「これからはスペース・ブローカーとしての『広告代理店』ではなく『コンサルティング』ができ る『広告会社』でなくてはならない」と、薄っぺらな時代認識を振りかざして頭ごなしに語るのではなく、しっかりと論理の筋道を立てて、その定義を構築して 頂きたい。アメリカでもし、正統な定義が設けられているのならば知りたい。
前述の田辺氏は次のようにはっきりと「広告会社」としての自社の存在を否定する。「当社は『広告会社』ではない。まだまだ『広告代理店』の域を出ていない。」
では、どのような基準を前提に氏は「広告会社」であることを否定したのか? 真っ当なインタビュアーならば必ず訊くであろうその質問に対する答えをこのコ ラムは用意していない。それは、理念と事件を追わず「広告代理店」とクライアントの事例紹介に終始する、この「宣伝会議」という媒体の限界だから仕方のな いことだ。しかし、田辺氏は言ってみればジェイアール東日本企画という業界では大手に属する「広告代理店」を、「コンサルティング」の水準では「広告会 社」に及ばないと述べたのである。
しかし、その「コンサルティング」の水準(目指す領域)を明らかにしない限り、田辺氏の見解は「広告代理店」の限界も、「広告会社」の可能性も示すことはできないのである。

それでも広がる「広告会社」


以上のような疑問を並べ立てても、実は「広告会社」という言葉は既に深くこの業界に浸透している。試みにYAHOO!にアクセスし「広告会社」で検索する と53178件の項目がヒットするのに対し、「広告代理店」では178件しかヒットしない(本年10月21日現在)。
ただ、そこには大いなる言葉のマジックが隠されている。例えばYAHOO!検索では、電通以下の「広告代理店」を「広告会社」ではなく「広告代理店」とし てカテゴライズしており、大手「広告代理店」のWebサイトは、「広告会社」というキーワード検索では見ることができないのだ。さらによく見ると、「広告 会社」という言葉はネット上では「広告関連の会社全体」として使われる傾向にある。例えば「広告会社を中心とした記帳代行」を業務とする某社には、顧客を 「広告代理店」と限定することでSPエージェンシー等を排除してしまう事を避ける意図が窺え、例えばパチンコ業界に特化した「広告代理店」は自らを「広告 会社」と呼ぶことで大手「広告代理店」との差別化を狙おうとする意図を感じる。
私がそう感じたのは、例えば次のような文章が実は業界の一般的な認識ではないかと思っているからだ。その文章とは「マーケティング&広告会社」と自称する A社の「大手企業をはじめ、事業規模の大小や業種を問わず多くのお客様に直接取引をいただき、大手広告代理店と“プランの中身”を競える公平な競争の場を 与えていただいている」というアピール文である。つまり、いま「広告会社」という言葉は、この「大手広告代理店」なる存在との差別化を狙った中小の「広告 代理店」、あるいは屋外広告や折り込みチラシに特化した「総合」という冠を付けることができない、正にスペース・ブローカーとしての「広告代理店」までも が好んでメッセージしている言葉ではないかと思わざるを得ないのだ。「広告代理店」と「広告会社」の差は、決して「コンサルティング」の品質ではなく、イ ンターネットの普及を境にした新旧勢力の身勝手な縄張り争いの様相すら呈する。
こうした状況が生まれるのは、「広告代理店」から「広告会社」への言い換えが、少なくともメディア・バイイング機能という意味合いを含ませることができた 「広告代理店」から、その意味合いを消してしまうからである。これが「広告会社」という言葉を不完全と表現した私の理由だ。つまり、「広告会社」と呼ぶこ とによって「広告関連の会社全体」という意味合いが強くなり、メディアに口座がなくても(つまりスペース・ブローカーですらなくても)「広告会社」と大威 張りに言える状況を作り出してしまうのである。
したがって、「広告代理店」という言葉は、こうした「大手広告代理店」と比べて機能的に劣る様々な「広告関連の会社全体」」と差別化する意味でむしろ残す べきなのだ。あるいは4大媒体のメディア・バイイング機能を持つ「広告代理店」を「総合広告代理店」と表現し、一部の業界・メディアのみに特化した「広告 代理店」を「専門広告代理店」として差別化する方が遙かに分かりやすい。入学から就職まで大学の広告・広報を一手に引き受ける会社や、不動産広告をメイン に専門ノウハウを携えた提案活動を行う会社など、ある特定の領域の特異なノウハウを持った「広告代理店」は多いのだ。そして、「スペース・ブローカー」と してしか機能していない会社や、販売促進だけに特化した大手の広告制作会社のように、これまで自らを「広告代理店」と呼んできた会社は、自社サービスをよ り明確化する意味でも「広告代理店」という呼称を取り去った方がよい。あるいは「専門広告代理店」に倣って「広告スペース代理店」、「SPエージェン シー」と呼ぶ道を選ぶべきである。

「広告会社」は既に時代遅れ


これまで述べてきた理由から、私はこれまで「広告代理店」と呼んできた業界の慣習を「いまはそんな時代じゃないですよ」と肩を叩かれ「広告会社」と言い直させられる謂われは一切ないと主張したい。
しかしながら、最後の章で「広告会社」の定義を試みるのは、この「広告会社」という不十分な表現の普及が、確かに機能が拡張しつつある「広告代理店」の置かれた状況と密接に絡み合っているからに他ならない。
ちなみに最大手3社(電通・博報堂・アサツーディ・ケイ)のWebサイトを見て頂きたい。そこには「広告会社」という言葉も、「広告代理店」という言葉も 一切見られない。例えばアサツーディ・ケイのPromotionのページに「広告領域に限らず、カスタマーリレーション、LTV最大化、IR、リスクマネ ジメント、CS、エリアマーケティング、営業スキルアップ、モチベーションアップまで幅広いマーケティングプランを構築しています」とあるように、既に 「大手広告代理店」は、広告という領域を離れてシンクタンクや経営コンサルティング、システム開発の領域すら包括しようという意図が窺える。これこそが 「広告代理店」の未来における最大のテーマなのだ。広告との関連が大きい「ブランド」が経営とますます密着化しつつあり、広告それ自体が経営との距離を近 づけている。したがって、大きな予算を伴う「大手広告代理店」の提案は必然的に経営を意識せざるを得ず、経営を語る以上その道の専門家を動員せざるを得な い。
もう5年前だろうか、某大手外資系「広告代理店」と仕事をしていた際に、あるクライアントの広告戦略に他社案が採用された事を知った。その他社とは、経営 コンサルティング会社である。時代は当時よりますます「広告代理店」と経営コンサルティング会社の距離を縮めている。今後の広告戦略においては、広告業界 でない会社と競合になる可能性もあるのである。現実的には「当社は広告会社です」なんて悠長な事は言っていられない時代なのだ。

「広告会社」の定義を行う前に


広告業界の皆さまは実感されているであろうが、日々の広告ビジネスにおいて「広告代理店(一般に『代理店』と呼ぶが)」という言葉はまだ根強く残ってい る。いや、殆どの方がまだ「代理店」なる言葉を使っていると言ってよい。あるいは、「広告会社」という意味不明な言葉の圧力のため、「代理店」と言う際に 肩身が狭い思いがするのか「広告代理店」を「エージェンシー」と言い換える方も最近は多い(英語で言っているだけじゃないか!)。
しかし「『広告会社』に対するスタンダードな定義、あるいは『広告代理店』を区分する公的な定義はあるのか?」という疑問が拭いきれなかった私は、書店での短時間のセレクトで次の書籍を購入した。
「 新版 広告ビジネスの基礎講座」(宣伝会議)である。決して意図的なセレクトではない。それらの「定義」が見つかった書籍を真っ先に選び購入したのである。
さて、その「新版 広告ビジネスの基礎講座」では、285ページで「広告代理店」を次のように定義している。
・定義A「テレビ局・ラジオ局・新聞社・雑誌社などの媒体社に代わって(代理で)、それらの媒体の広告スペースを販売する企業。但し、現在では媒体の広告 スペース販売のみを行っている企業は、数少なくなりつつある。また実際には、特にクライアントや媒体社からは『広告代理店』と呼ばれる場合がまだまだ一般 的である。」
この定義は、現在の「広告代理店」が「スペース・ブローカー」のみの機能から離れている事は説明しているが、ではどのような機能を持ちつつあるのかを定義しておらず甚だ曖昧で不完全である。
さて、同書は次ページで「広告会社」も定義している。
・定義B「本書における概念的な意味合いとしては、マーケティング会社に近く、古典的な広告代理店の進化した形態としての総合広告代理店全般を指している。  *一般的には、単なる媒体スペースの販売代理業のみではないことを強調する意味合いから使用される場合が多く、上記の広告代理店・マーケティング会社の何れとも同義語的に使用されることも多い。」
「広告会社」と「広告代理店」の違いを明確化するどころか放棄している点に唖然としてしまう。いきなり「広告会社」を「上記の広告代理店・マーケティング 会社の何れとも同義的に使用される」と言われても、「広告代理店・マーケティング会社(定義は下記に記載)」の定義が不明確なままでは何の説明にもならな い。
しかし、このA・Bの説明からは次の事が導き出される。定義Aで「媒体の広告スペース販売のみを行っている企業は、数少なくなりつつある」と説明された“ 媒体の広告スペース販売”以外の業務を行う会社が、定義Bで言うところの「古典的な広告代理店の進化した形態」と解釈されるが、そうしたA・Bの説明から “古典的広告代理店=単なる媒体スペースの販売代理業”という図式が明らかになる。つまり本書の結論とは、単に「『スペース・ブローカー』でない『広告代 理店』は『広告会社』と言われる事もある」という単純な事実を言っているに過ぎないのだ。 つまり、本書は「広告会社」と「広告代理店」の区別をしようという意志など最初から持ち合わせていないのである。ちなにみに、ここで出てくるマーケティン グ会社の定義を絡めると、その説明はいよいよ混沌の度を加え、いい加減さが露呈してくる。
C「マーケティングのみを保有する専門性の高い企業を指す場合もあるが、広告会社をこのように称する場合には、クライアントに対して単に媒体スペースを販 売するだけでなく、広告活動を行うに際して、クライアントのマーケティング上の課題を明確化し、その課題解決策としての広告活動を提案・実行する企業を意 味する。マーケティング・サービス提供機能を強化した広告代理店と考えるとわかりやすい。媒体スペースの取扱は大切な収益源ではあるものの、広告マーケ ティング活動全体の中で捉えるために、あくまで結果でしかない。※この呼称は一部関係者の間でのみ使用される場合が多く、必ずしも一般的ではない。」
ここで言う「クライアントに対して単に媒体スペースを販売するだけでなく、広告活動を行うに際して、クライアントのマーケティング上の課題を明確化し、そ の課題解決策としての広告活動を提案・実行する企業」をマーケティング会社と呼ぶ者が果たしてこの世に存在するのだろうか? 「一部関係者の間でのみ使用 される」と書いているが、「一部関係者」って誰? こんな意味不明な定義も珍しいが私の知る限りこの業態は(『媒体スペースを販売』する行為を除けば)市 場調査や消費者調査をする「調査会社」と定義した方がよほど自然である。
むしろ、この説明が「広告代理店」に向けられたものではないという事実に、ある意図が浮かび上がる。その意図とは“一部の『広告代理店』はクライアントの マーケティング上の課題解決をできない、あるいはしていない”という判断から生まれている。あえて「広告代理店」とは別に「マーケティング会社」なる怪し げな範疇を持ちだしたのは、単なる「スペース・ブローカー」ではない「広告代理店」の中でもその機能の水準は分かれるという点に気づきながら、それを明確 に区別する事を放棄したからに他ならない。つまり「古典的な広告代理店」でない「広告代理店」の「進化」の度合いを整理しようとすると、「広告代理店」と 「広告会社」の違いを明確化するのと同じ問題に行き当たるのである。そして、それを説明しない限り本論で言い続けてきた根拠のない「広告会社」礼賛と同根 の病理を抱えることになるのだ。
以上の分析でも明らかなように、本書における「広告代理店」「広告会社」を巡る定義は、不明確・不正確・無責任で、概念が混乱しており、さらに広告業界が 置かれている立場に何ら踏み込んでおらず、時代遅れである。私は当然ながら本書に失望した。しかし、言ってみれば「広告代理店」と「広告会社」を巡る論議 とは所詮この程度の成熟度なのではないか。本書に、あるいは学者達にスパッと切れ味のよう定義を求めた方が無理だったのかもしれない。
私はこれ以上、本書に関して書くつもりはない。要は、お金を取って販売している立派な広告の専門書でさえ、たかがこれほどの認識でしかない「広告会社」な る存在を、盲目的に広告業界の常識とする安易なその風潮に怒りを覚えるのである。

「広告会社」の定義が変わる

最後に「広告代理店」が目指す「コンサルティング」領域の定義について書く。
私はその領域を区別する基準に、(1)広告に絞った総合的なコンサルティング(市場戦略・消費者意識・広告戦略・ブランド戦略・メディア戦略等) か、(2)それらを基本に経営面も含めたより広範囲なコンサルティング(上記コンサルティング+経営戦略・財務戦略・人事戦略・システムを中心とする情報 戦略等)かの2領域を挙げたい。
そして恐らく「大手広告代理店」は「広告を基本に経営面も含めたより広範囲なコンサルティング」を目指す過程でその在り方を模索している状況ではないかと 思うのである。一方、「総合広告代理店」と呼べる規模の「広告代理店」は少なくとも(1)のコンサルティング領域は実施してきたはずだから、これまで通り の業務に終始するなら別に呼称を「広告会社」などという曖昧な表現に変える必要は全くない。逆に、(2)のコンサルティング領域を実現しているのなら、む しろ「広告会社」という表現は間違っていることになる。いずれにしてもこの2領域は明らかに求められる機能の水準が違う。したがって、今後はこの2つの 「広告代理店」の呼称に何らかの区別を付ける必要があろう。
問題は「広告に絞った総合的なコンサルティング」の水準をどう定義するかだ。営業部・制作部・マーケティング部・媒体部と、この4部が揃えばそれが実現で きるのか? ライセンスやキャスティングの管理に関しては外注でよいのか? それぞれの戦略立案の水準はどこに置くのか? など、安易に「コンサルティング」の意義を 振りかざして「広告会社」なんて表現を主張する前に、広告業界はもっと真摯に「広告におけるコンサルティング」そのものの領域を分析する必要があるのだ。 前出の田辺滋氏の自社への評価は、もちろんある種の謙遜ではあろうが、氏も少なからず「広告代理店」のなすべき「コンサルティング」の定義と「広告会社」 を主張する方々の考える「コンサルティング」の定義の曖昧さに疑問を感じられていたのではないかと拝察する。
しかしながら「広告に絞った総合的なコンサルティング」の水準を私がここで区分し「広告代理店」を区分別に新たにカテゴライズしていくことは、明らかに自 己満足の産物でしかないので差し控える。私はまた、“広告に絞ったコンサルティング”か“広告を含めたそれ以上の広範囲なコンサルティング”かという境界 についても、それに基づいた「広告代理店」の代わりとなる定義を作りだすつもりはない。
いま「広告代理店」は自らをどう呼ぶべきか。
それは、いま自らの業務を(例えば建設会社が自らを建設会社と堂々と言うように)真正面から言う言葉を持たない「大手広告代理店」が、一社一社、正に自ら の業務スローガンを創りあげていくように考えるものであると思う。「総合広告代理店」として機能している幾多の「広告代理店」の皆さまも、他社との差別化 を図るうえで新たな呼称が必要とされる時代なのかもしれない。自らが広告を通し、どの水準までクライアントの利益に貢献していくのか。今後の「広告代理 店」としての生き方と理念を決定づけるそうした戦略から、単なる「広告代理店」とは違う別の呼び方が生まれる可能性はあるし、その必要性も実際に生まれて いる。しかし、それは決して「広告会社」のような曖昧な表現で決定づけられるものではない。
「広告会社」という言葉は、広告業界の置かれたこのような分岐点たる状況を把握した場所から生まれていない。「広告会社」という言葉は、言語の機能として 内容を曖昧化し不完全化する。「広告会社」という言葉は、殆ど何も議論されていない。こんな言葉になぜ、我々は従わなければならないのか? これが私の 「広告会社」という言葉への大いなる疑問である。
(2004.10. 22 )


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