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CMへの悲鳴と皮肉

マンスリー広告批評〈06.9月〉

8月28日の「テレビCMの日」に、故杉山登志氏を主人公にしたドラマ「メッセージ〜伝説のCMディレクター・杉山登志」が放映された。杉山登志氏(成人 役は藤木直人)と弟・傳命氏との子供時代のエピソードに、内山理名扮するCM制作会社の新米プランナー・松本佐和とその傳命氏(現在における役は藤竜也) との現在の交流を織り交ぜながら、1973年、37歳で杉山氏が自殺するまでを描いた。
私に「杉山登志論」などもちろん語れるはずはなく、まして自殺の真相について推測できる立場にもない。そして、テレビCM用とは無縁(テレビCM用キャッ チフレーズ作成実績1本)の私に、もちろんCM界の現状を堂々と書ける資格はない。ただ、実は私生活を通じ杉山氏と僅かに細い糸で結びついている身として このドラマを興味深く見た。
CM制作者の側の悲鳴とも自虐ともとれる正に“メッセージ”と、1社提供した資生堂にとっての希有なCM効果。私の印象に残ったのは大きくこの2点だ。

現在のCM制作者からのメッセージ

冒頭、当時の資生堂の担当者が「日本のコマーシャルはまだまだです。ただ商品を紹介するだけでなく、それ自体がワクワクして目が離せない。そんなコマー シャルを作りたいんです。」と力説する場面がある。これは約40年後の現在でもそのまま当てはまる言葉だろう。そして一見、自虐的なこのメッセージが、現 在、CM制作を手がけられている方々の(我々は現状を望んでいないという)悲鳴ではないかと“想像”するのである。もちろんそれは想像でしかないのだが、 クライアントがCMに求める要求は「それ自体がワクワクして目が離せない」CMとは正反対の商品情報連呼と、Webへの明確な導入となる橋渡しとしての副 次的な役割に向かっているのだと。
故杉山登志氏の有名な遺書の言葉に呼応した松本佐和の「嘘のないコマーシャルを作りたいんです。ただインパクトを狙ったものじゃない」という台詞にも、先 の言葉と同じ“悲鳴”を私は聞いた。傳命氏が佐和に向かって言う「時間のせいなのか? ああやって自分に平気で嘘がつけるのは」さえも。その佐和が傳命氏 に向かって返す「どんなに苦労して本物を撮ったとしてもCGだって思われちゃうんです」までも。
「テレビCMの日」の特別番組の枠を借りて、現在のテレビCMの実情を間接的に訴えたい意図があたかも反映されているように私には見えた。したがって、私 はその意味でこのドラマは「CMのCM」キャンペーンとしても大きな効果があったと感じた。
佐和と傳命氏が銀座の街頭を歩くシーン。傳命氏が見つめるエビちゃんのポスターがかつての資生堂の顔・前田美波里と重なり、当時のCMへと流れる場面で、 果たして傳命氏は何を思ったか。確かに故杉山登志氏の制作したCMのなかの女性たちは、いま見る多くのCMよりも自然な美しさに満ちていた。しかし、これ についてCM効果という視点から語る資格を、あるいは実際の現場の事情から解釈する能力と経験を私は持ち合わせていない。

CMとCMのドラマの幸福な融合

ナチュラルグロウの奇跡的とも言える女性の素朴で自然な笑顔。この70年のCMはじめ、掛け値なしに現在とは異なる訴求力に満ちた“杉山登志のCM世界 ”。ドラマに散りばめられたそれらは、しかし確実にドラマの間に流れる“現在の” 資生堂のCMをも輝かせた。特に「本日私はふられました♪」という歌で始まる、少女の日常での健気な復活を見せた企業CMには「嘘はばれるからな」という 杉山登志氏の口癖に真っ向から相対峙しようとする情熱すら感じた。また「TSUBAKI」のCMにはそもそも杉山登志氏へのオマージュ的意図もあったと聞 く。
MIXIのコミュニティで、先の少女のCMで泣いたという声が寄せられた。それほど資生堂のCM効果は大きかったと思う。そしてやはりこのコミュニティ で、番組中、突然一度挟まれた細木数子の番組宣伝に批判が集中したのも、視聴者が70年代と現在の資生堂のCMを一体化して見ていたことの何よりの証左 だ。
したがってこの特別番組は、ドラマとCMの融合によるCM効果アップという方法論を見事に提案してみせ「テレビCMの日」の一つの目的を完璧に成し遂げたのである。

当事者からのささやかな反論

「杉山氏と僅かに細い糸で結びついている身」と書いたのは、実は義父が草創期の日本天然色映画で杉山氏の同僚であったという縁があったからだ。いや、そも そも義父は他ならぬ杉山氏の紹介で入社しているのである。昨年はその義父の計らいで骨董通り「smoky」で開かれた27回忌にも飛び入り参加させても らった。そして広告業界の素敵な大先輩たちの姿に酔った。義父に「傳命さんも斜め前にいたじゃない」と言われたのだが、残念ながらその時はお話もできな かった。
その義父と放映翌週の日曜、たまたま会食する機会があった。ここに紹介できない当事のエピソードも多々聞いたのだが、この特別番組に関して2つだけ紹介す る。1つは「日天は(番組中の海岸のロケシーンで使われていた)アリフレックスなんて古いカメラは使ってなかった。カメラはミッチェル」という指摘で、日 本天然色映画は機材に金を惜しまなかったと力説していた。もう1つはインターネット上で他の方も指摘されていたが、伊庭長之介社長の存在が描かれていな かったことへの不満。義父曰く「イバチョウさんでもっていた」日天の社長との経緯をドラマで省略せざるを得なかったのも、「時間のせいなのか? ああやっ て平気で嘘がつけるのは」か。
70年代と21世紀初頭のこの時代、広告を制作する人間たちはどこが変わったのか、あるいは変わってはいないのか。温故知新に傾く年齢なのかもしれない が、私は、美味いお酒が一緒に飲めそうだった仕事上での先輩2人を共に突然の病でなくしたことが残念でならない。杉山登志さんの目指した何ものかは、私た ちも目指すことができる何ものかであったかもしれないと思うと、やはりその死が惜しまれる。
(2006.9.8)
「いいコトバ」でもこの特別番組を取り上げました。
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